2013年02月03日
思い出話
みなさんこんにちは。
ブログをスタートして、一週間が経ちました。
これからは週2回のペースで記事を書いていくつもりなので、よろしくお願いします!
さて、突然ですが、みなさんは「法律」という言葉から何を連想しますか?
「難しそう。」「知らないと損する!」「六法全書を枕代わりにできそう?」
などなど、人それぞれイメージがあるかと思います。
そんな中、今回は、個人的に思い入れのある判例についてご紹介してみようかなと思います。
私は、大学では工学部に在籍していたので、学生時代は法律のほの字も知らん、という状態
でした。
大学卒業後は、普通に就職して会社員をしていたのですが、いろいろあって資格を取って独立したいと思うようになりました。
当初は司法書士の資格を取ることを目指していて、会社に勤めながら資格予備校に通うようになりました。これが、私が初めて法律について学んだ経験になります。
それまで私が法律について持っていたイメージというと、
「ちょっとでも法に触れるような事をするととヤバイんと違う・・・?!」
といった感じですかね?
融通が効かない、違反すると怖いものという先入観がありました。
(ナニワ金融道の見過ぎかも知れません
)
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【宇奈月温泉事件】
事件の概要:
富山県黒部市にある宇奈月温泉は、上流の黒薙温泉から約7.5Kmの水道管を通じて温泉を引き込み、営業をしていた。水道管は、X会社が保有していた。
水道管のうち、6m程がAの所有する土地を通っていたが、X会社はAから適法な使用権の設定を受けていなかった。
これを知ったAは、X会社に対し、土地を相場の数十倍の価格で買い取るよう要求した。
X会社がこれを拒否すると、Aは水道管の撤去を求める訴訟を起こした。
果たして、Aの要求は認めれるのか?
この事件では、Aという個人とXという会社の間で、金銭を巡る争いがあった訳ですが、このようなときは民法という法律で処理されます。
民法を紐解いてみると、次のように記されています。
民法206条
所有者は、法令の制限内において、自由にその所有物の使用、収益及び処分をする権利を有する。
(注:これは現行法の条文で、事件当時から法改正があったので、当時の民法とは文言が変わっています。が、当時も同様の規定は存在していました。)
206条は、平たく言えば「自分の所有物は、煮て喰おうが逆さにしようが、その人の勝手ですよ」となります。
本事件にそのまま当てはめると、Aさんが自分の土地を思い通りにできるのですから、X会社に勝ち目はない!
ということになりそうですが、結果はどうなったのでしょう?
判決:請求棄却。水道管は撤去しなくてよい。
(大審院判決 昭和10年10月5日)
↑ちなみに、大審院とは、戦前の最高裁判所に当たるものです。
裁判所は、何故このような結論に至ったのか?
この事件には、次のような事情がありました。
1,水道管が通っていた部分は急斜面になっていて、利用価値の無い土地だった。
2,土地の所有権を侵害している面積はごくわずかである。
3,水道管が撤去されると、X会社は莫大な損失を被ることになる。
本事件のように、確かに法的な権利はあるけれども、それを行使することがあまりにも道徳に反することを、「権利の濫用(らんよう)」と呼びます。
裁判所は、この権利濫用の法理を適用して、Aの訴えを退けたのでした。
(なお、この判例は非常に有名なので、法律の勉強をしたことがある人なら必ず知っていると思います)
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この判例を知ったときに、「裁判所も遠山の金さんみたいな事をするのか~」という小学生のような感想を持った記憶があります。
もちろん、いつも上記のような判例が出されるということではなく、事実関係などを詳細に検討したうえでの結論です。
「権利の濫用」を濫用しすぎると、法律がある意味がなくなってしまいますから。
でも、民事裁判において、結果の妥当性を導くため、少々の無理は承知で条文をねじ曲げることはままあります。
「権利濫用の法理」は、条文をねじ曲げるため裁判官が抜く伝家の宝刀の一つです。
ということで、最初に持っていた「法は絶対!」という先入観が少しばかり変化した思い出をご紹介してみました。
…以上で今回の記事は終わりです。
質問・感想・リクエストなどがあればどしどしコメントして頂けると嬉しいです!
ブログをスタートして、一週間が経ちました。
これからは週2回のペースで記事を書いていくつもりなので、よろしくお願いします!
さて、突然ですが、みなさんは「法律」という言葉から何を連想しますか?
「難しそう。」「知らないと損する!」「六法全書を枕代わりにできそう?」
などなど、人それぞれイメージがあるかと思います。
そんな中、今回は、個人的に思い入れのある判例についてご紹介してみようかなと思います。
私は、大学では工学部に在籍していたので、学生時代は法律のほの字も知らん、という状態
でした。
大学卒業後は、普通に就職して会社員をしていたのですが、いろいろあって資格を取って独立したいと思うようになりました。
当初は司法書士の資格を取ることを目指していて、会社に勤めながら資格予備校に通うようになりました。これが、私が初めて法律について学んだ経験になります。
それまで私が法律について持っていたイメージというと、
「ちょっとでも法に触れるような事をするととヤバイんと違う・・・?!」
といった感じですかね?
融通が効かない、違反すると怖いものという先入観がありました。
(ナニワ金融道の見過ぎかも知れません

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【宇奈月温泉事件】
事件の概要:
富山県黒部市にある宇奈月温泉は、上流の黒薙温泉から約7.5Kmの水道管を通じて温泉を引き込み、営業をしていた。水道管は、X会社が保有していた。
水道管のうち、6m程がAの所有する土地を通っていたが、X会社はAから適法な使用権の設定を受けていなかった。
これを知ったAは、X会社に対し、土地を相場の数十倍の価格で買い取るよう要求した。
X会社がこれを拒否すると、Aは水道管の撤去を求める訴訟を起こした。
果たして、Aの要求は認めれるのか?
この事件では、Aという個人とXという会社の間で、金銭を巡る争いがあった訳ですが、このようなときは民法という法律で処理されます。
民法を紐解いてみると、次のように記されています。
民法206条
所有者は、法令の制限内において、自由にその所有物の使用、収益及び処分をする権利を有する。
(注:これは現行法の条文で、事件当時から法改正があったので、当時の民法とは文言が変わっています。が、当時も同様の規定は存在していました。)
206条は、平たく言えば「自分の所有物は、煮て喰おうが逆さにしようが、その人の勝手ですよ」となります。
本事件にそのまま当てはめると、Aさんが自分の土地を思い通りにできるのですから、X会社に勝ち目はない!
ということになりそうですが、結果はどうなったのでしょう?
判決:請求棄却。水道管は撤去しなくてよい。
(大審院判決 昭和10年10月5日)
↑ちなみに、大審院とは、戦前の最高裁判所に当たるものです。
裁判所は、何故このような結論に至ったのか?
この事件には、次のような事情がありました。
1,水道管が通っていた部分は急斜面になっていて、利用価値の無い土地だった。
2,土地の所有権を侵害している面積はごくわずかである。
3,水道管が撤去されると、X会社は莫大な損失を被ることになる。
本事件のように、確かに法的な権利はあるけれども、それを行使することがあまりにも道徳に反することを、「権利の濫用(らんよう)」と呼びます。
裁判所は、この権利濫用の法理を適用して、Aの訴えを退けたのでした。
(なお、この判例は非常に有名なので、法律の勉強をしたことがある人なら必ず知っていると思います)
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この判例を知ったときに、「裁判所も遠山の金さんみたいな事をするのか~」という小学生のような感想を持った記憶があります。
もちろん、いつも上記のような判例が出されるということではなく、事実関係などを詳細に検討したうえでの結論です。
「権利の濫用」を濫用しすぎると、法律がある意味がなくなってしまいますから。
でも、民事裁判において、結果の妥当性を導くため、少々の無理は承知で条文をねじ曲げることはままあります。
「権利濫用の法理」は、条文をねじ曲げるため裁判官が抜く伝家の宝刀の一つです。
ということで、最初に持っていた「法は絶対!」という先入観が少しばかり変化した思い出をご紹介してみました。
…以上で今回の記事は終わりです。
質問・感想・リクエストなどがあればどしどしコメントして頂けると嬉しいです!
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